(少し思い入れが強くなりますので、分けてぼちぼち書いていこうと思います。気長にお付き合いくださるとありがたいです。)
蝸牛は算数や数学、物理などの理系科目が大の苦手です。
学生時代は高校二年生から文系クラスに進んだので、それらからは一切解放されて、本当に晴れ晴れとした気持ちになり、心底嬉しかったです。
水泳も苦手だったから、プールのない高校に進み、それについても同様の解放感を満喫。
高三のマラソン大会が終わった後も、あぁ〜、もう2度とマラソンしなくていいんだなぁ〜と、小躍りからの安堵感に包まれました。
でも、プールやマラソンなんかは手を切ってからとりあえず困ることはなかったけれど、あの時、早々に理系分野から簡単におさらばしたツケは、やっぱりその後の人生で負うことになってしまったのです(;´д`)
大学受験は必然的に私大文系の希望にはなりますが、まぁ、不自由はなく。
その後、、そのツケは就職時期に筆記試験連続不合格というカタチで払わされることになりました。
就職超氷河期🦣世代というのもあったけど、就職試験の筆記試験、またはSPIで、まぁ〜ことごとくはじかれる。。
もうどこも受からないんじゃないかな、って不安しかありませんでした。
(どんどん落ちまくり、選考が遅い老舗アパレル会社にかろうじてひっかかる)
なんなら、公務員もいいなぁ〜なんて思ったけれど、試験の内容を書店で確認したところ、一秒でパタッと本を閉じることに。
こんなの解ける訳ないじゃん。゚(゚´Д`゚)゚。
そうか、、算数や数学が出来ないと人生が狭く閉じていくんだと、そこでなんとも言えぬ、す〜んとした哀しさを味わいました。
こんな背景を持った私が子どもを育てる時に思ったことは、やっぱり「算数が出来る子に育てたい!」でした。
そして、我が第一子のそら豆。
色々なことに興味があるそら豆ですが、中でも算数が大好きです。
それぞれのお子さん、それぞれに好きな何か、得意な何かを頑張っていると思います。
そら豆にとっては、母の願いも通じたのか、自分の大切な物、自分の芯となるのが算数となりました。
そら豆は1年生から6年生まで、算数オリンピックに挑戦してきました。
3年生まではキッズBEEといわれる部門、
4〜5年生はジュニア算数オリンピック、
6年生は算数オリンピックです。
予選が各地方で行われ、通過したら、全国3ヶ所で開催される本戦に進めます。
1年生の時は予選通過ならず。
2年生からはコロナで開催されなかった年を除いて、予選に通過し続けられたことは、彼にとって、とても良い経験になったと思います。
(左はキッズBEE予選通過でいただいた銅メダル、右は2020年自宅開催となった回でいただいた金メダル)
真島先生がいうところの「プライドポイント」っていうやつですかね。
がしかし、やはり本戦で入賞するまでにはなかなかいたらず、トップオブトップの子たちを知ることで、まだまだだなぁ〜と思い知らされもしました。
算数オリンピックの問題は本当に難しいです。
キッズBEEならまだ私も頑張れますが、ジュニア算オリ以上になると、問題を見るだけで、戦意喪失状態に陥ります。
考えて考えての思考系問題。
私は遠慮したいですが、そら豆は楽しい❗️といって解くのです。
勉強に取り組む中、本戦レベルの問題にはひぃひぃ言っていたけれど、難しいからもう辞めるとはなりませんでした。
中学からはまた部門が変わって、予選通過するのもさらに狭き門になりそうですが、そら豆は挑戦し続けるのだそうです。
次回からは、そんなそら豆の算数の歴史をちょっと振り返ってみようと思います。
(不定期更新です。すみません(*´-`))