(注⚠️熱心な松江塾保護者様には本記事は不快記事となりますので、自己責任での閲覧をお願いいたします。結局は退塾を決めるまでに至った私情が絡んでおり、一保護者のあくまでも「個人の感想」にすぎません。 悪しからずご了承ください。ちなみに読むのに10分かかります。)
松江塾にはカリキュラムがない。
独自のテキストがある訳でもない。
では保護者は何を拠り所にして、可愛い我が子を託し、お金をお支払いするのかといえば、教えてくださる先生、その人そのものに対して、だ。
しかし、その先生に対する期待や信頼が0を通り越してマイナスとなり、日々溜まりゆく不快感が私の心のバケツMAXになり、とうとう溢れてしまった今、もはや松江塾の継続は不可能となってしまった。
(もちろんまるおの気持ちも大切にした上で対話を重ね、親子で納得した上での決断です。最後まで反対したのは退塾になった張本人、中2のそら豆でした。せめて納豆英文法を小5の1年間は受け続け、中学英文法を終わらせた方がいいと頑なにまるおの退塾を譲りませんでした。まるお以上にそら豆との話し合いになってしまった😓でも、そら豆は納豆英文法の習得者!🐌「そんなに言うなら、そら豆が教えてよ!」とお願いしたら快諾の運びに。本当の意味での「家庭教師」が爆誕しました。もちろん要報酬です…。ちゃっかりしています。でも、小5、小6と中1、中1と中2(中2は途中で脱落)、中2(4月に強制退塾)、丸3年はしっかり取り組みましたので、それはそれはおかげさまで基礎がバッチリです)
度重なる親の批判についてはまだなんとか我慢出来たとしても、可愛い我が子の面前に立つ人の人間性が自分の人生のポリシーに反するものであるとわかってしまったからには、このまま目をつぶり続け、命よりも大切な我が子を預けることは出来ないと、自分の気持ちに素直に従ったまでだ。
これまでも、ん?と思うことは多々あった。
大きいもので、代表的なものは個人情報の流出に始まり、または経理部が発足するとのことでこちらは少なからず安堵していたら、実はスマホを仕分けただけで、「中身は僕でした〜」などという、なんとも稚拙で恥ずかしく居た堪れなくなるような出来事もあった。
(今もおぷちゃで確認出来ると思う)
正直、この塾、大丈夫かな…?と不安になった。
さらには遡ると、低学年からペナテストに関わる解答のミスが多すぎること、また日々のミスはもはや許容範囲として、お忙しいのだろうな、毎日、大変だし仕方ないよなと、こちらも割り切るしかないのだが、とある時には、国語と英語を教えていただく先生にも関わらず、「価値観」を「価値感」と表記していたり、恐らく、summerと書きたかったのかsunnerと表記されていたのを見つけた時は驚愕の思いで我が目を疑った。
信じられず、思わず、こういう書き方や意味があるのかな?と調べてしまったくらいだ。
(お日様みたいな、とか?)
ミスにまつわる話では、そら豆が退塾になる以前だが、保護者がミスを指摘したら逆ギレされ、子どもには何の落ち度もないのに退塾にされてしまったご家庭もあるという…。
そのご家庭もどうやって子どもに説明したかとか、どうやって気持ちに折り合いをつけたかとか、想像するとまた胸がギュッとなり、私が味わったなんとも言えぬ憤りとも重なり、ただただ、言葉を失ってしまう。
それから、とにもかくにも、松江塾は親の伴走を必須とする。
いつでもなんでも、
「子が出来ないのは全て親の責任」
であるという。
言いたい気持ちも少しはわかるが、私は一流の講師で、自分の力量を棚上げにして、保護者に責任をゴリ押ししてくる先生を見たことがない。
(塾講師みんな思ってるけど言わないだけ、誰も言わないようなことを言っちゃう僕ちゃんってすごい!って悦に入っているのかもしれないけれど、ただただどこまでも失礼なだけである。むしろ人が言わないような失礼なことを言ってしまう人間なのだと、社会人としての自分の格を下げるだけである。)
もちろん、授業を通して、とてもわかりやすく教えてはくださるものの、子どもの理解が及ばない時は親のフォローが絶対的に必要だ。
そして、それが出来ない親は悲しいかな、ダメ親の烙印を押されてしまう。
(結果が全てなので、親側のいかなる状況やのっぴきならない事情も全て言い訳にすぎない)
それが松江塾である。
松江塾で教えているのは先生だけではない。
その実、「親」が子どもに教えているのだ。
親が松江塾生の学力を担保しているとも言える。
そもそも、授業動画は配布してもらえるので、子どもの理解がどこでつまずいているかは見つけやすく、その点はとても伴走しやすいシステムではあると思う。
逆に言えば、自分1人でも理解できるような子以外は親子で取り組まねばならない、ということだ。
ここに松江塾の向き不向きが発生してくると思われる。
親がきっちりと伴走出来なければ(毎日シリーズ、ペナテ対策など)、学習内容も定着しないどころか、ペナテやランキングテストで我が子の自己肯定感はだだ下がるだけなので、注意が必要である。
毎日シリーズでは習っていない前置詞も出てくるし(補記なし)、翌日に送られてくる解答を見れば、習っていない省略形なども目にするので、その度に子に教えなければならない。
(理系は7月から即日解答とのこと!大変良かったと思います。すぐ解答を確認して、疑問を解消したかったことが多々ありました。解答が翌日って…。)
親の学力も子に教えられる程度は必要になってくることだろう。
親の伴走が不十分な子は、
「自分は出来ない」が可視化され、いつしか刷り込まれ、自信をなくしてしまうだろう。
本当はそうじゃなく、ただのシステムのせいであるにも関わらず。
また、親の伴走なく1人でも授業を理解し、全ての課題に取り組めるような子は他塾でもどうせ伸びる。
そして、理解出来ない子にフォローするのは先述の通り、他ならぬ「親」なので、どうせ親が教えるなら、どの環境でも良く、むしろ親が心地よくフォローを頑張れる環境の方が子どもはきっと伸びるだろう。
このブログで繰り返し主張してきたことだが、親の仕事は子の「環境整備」をすることだと思う。
衣食住の環境はもちろんのこと、子の学習環境の整備にも責任を負うと思っている。
元々そういうことが好きな私ではあるが、そら豆が強制退塾になってからは、さらに日々、輪をかけて情報収集に勤しみ、頼りになるママ友からもアドバイスをいただき、松江塾ではない、新しい環境を(今はそれがベストと思える)、我が子そら豆とまるおに用意することが出来た。
(まるおは小6で英検3級を目指せる、しっかりとしたカリキュラムのある塾で学ぶことになりました。ありがたくも少人数!)
もちろん、私もまるおをサポートするべく、ガッツリ伴走していく予定だ!
個性にはよるだろうけれど、人は基本的には変化を好まない性質があるという。
だから、多少の違和感があったとしても、なんとかなかったことにして、そこに居続ける方が楽ではある。
けれど、本当にそれでいいのか、今一度考えてみる必要と価値はあるかもしれない。
何故なら、そら豆もまるおも(私も!)新しい環境に進んで良かった!と今は心から思っているからである。
松江塾を離れることが、あれだけ怖かったのに辞めて困ったことなんて何一つなく、むしろ良かったと思えることしかなかった。
見たくないものを見ようともせずに、自分の気持ちを誤魔化して、蓋をして。
それって、
思考停止になっていないだろうか?
(昔の私に向けて言ってます)
誰かに不安や恐怖を煽られてはいないですか?
悪いのは全部自分、と思わされてはいないですか?
松江塾を辞めたら大変なことになる!と思い込まされてはないですか?
はい、私は全部そう思っていました。
あの時の私はそう、まさに、
洗脳されていました。
今は、ありがたくも本当に目が覚めたので、心の底から言えますよ。
我が家は退塾になって良かったです!と。
人間万事塞翁が馬。
今でも小学生が英語を学ぶには納豆英文法は素晴らしいものだとは思いますが、親の気持ちが離れたらもう無理なんですよ。
我々のように強制退塾ではなくとも、現在、退塾者が後を絶たないと聞いています。
少子化も目に見えて加速しているし、保護者の目もさらに厳しくなると思うので、今のように保護者の不安を煽り、ブログで親がダメだと一日に何度も発信を続け、人を不快にさせまくるビジネスが今後、成功するとも思えない。
とはいえ、そら豆ががっつりとお世話になった納豆英文法のコンテンツはかなり秀逸ではあるので、マニュアル化してフランチャイズ方式でどこかの塾と契約していくとか、コンテンツを確立させ、テキストと動画を個人に販売していくというのも需要はありそうだ。(毎日忙しいから、山にこもって素晴らしいテキストを作り上げる時間もないだろうけれど)
こんなムカつく保護者の提案は意地でも採用される訳はないので、その可能性は今後、絶対にないだろうけれど。
そして、今も、塾に対する何かしらのモヤモヤを抱え、子どもを通塾させている保護者が潜在的にどのくらいいるだろうか。
先生に忖度し、例え、気に入られたからといって、子どもの輝かしい未来が何か拓かれるのでしょうか?
もちろん、子どもの気持ちを尊重しないといけないけれど、この道を進んでいくことが本当にベストなのだろうか?
英語は言うまでもなくもちろん大事だが、英語だけに時間を割きすぎてはいないか?(公立高校の受験科目は5教科500点ですよね?)
課題のレベルや量は我が子に見合った負荷なのか?
重すぎて潰れていたり、消化不良で学ぶべきものを正しく習得出来ていなかったりしないか?
逆に、学校の成績が下がってはいないか?
日々忙しい子どもの代わりに親が情報収集し、子どもの前に選択肢を提示し、親子が本音で話し合うことはとても大事であると思う。
そら豆のヤバすぎた英語を起死回生させていただいたことには、とても感謝しておりますが、強制退塾後の個人攻撃とも思えるようなブログの内容、およびメルマガでの書きようは忘れようと思ってもいまだに忘れられるものではありません。(起きたトラブルやクレームをずっと忘れない?イヤなことをずっと覚えてるのはこちらも同じ!一生忘れないと思う!!!!)
そら豆がため込んでしまった課題を懸命にやり切り、塾に戻りたいと必死のお願いをしたにも関わらず、送ったLINEは今も未読のままです。
我が子をないがしろにされて怒りが湧かない親はいないと思います。
ご自身の言動を正当化するためか、この件に関し、授業中でのお話の中で、「困っているお母さんを助けたい」との発言がなされたことを小耳に挟みました。
私は、
全く助けられていません。
どんな意図でそう言っているのか、その人の本意がどこにあるのか、自分の頭で考えて、自分で理解することをおすすめします。
むしろ、こちらは苦痛と混乱を強いられ、渦中、私自身は食事も喉を通らなくなり、眠れもせず、我が家の雰囲気はお通夜か地獄のようであったこと、このブログに全て書き記してあります。
我が家のそのような有様に、きっといい気味だと思われていたかもしれません。
(ご自身で「自分は性格が悪い」と常日頃おっしゃっていらっしゃいますし)
ブログ内でもよく「子ども様」は嫌いだ、との発言があります。
それには私も同意してしまうし、確かに「子ども様」は嫌いだな、とも思う。
でも、私は「子どもおじさん」はもっと嫌いです。
今回のことで、人は
謙虚さが大事
だと親子で学びました。
本当に自分に自信がある人間は他者をディスり、自分を必要以上に大きく見せる必要もない。
実るほど頭を垂れる稲穂かな🌾
そして、私達親子は完全なる復活を遂げ、前を向き、さらなる高みを目指して日々頑張っています。
ようやく言えます。
もう「人質」も奪還したのでね。
さようなら松江塾、ありがとう松江塾
不快感は今も消すことは出来ないですが、それも含めて、我が子らが松江塾で学べて良かったとも思っています。
松江塾があったからこそ、今の我が子の姿になっていると感謝の気持ちも大きくあります。
親の私もこのブログを通して、たくさんの気付きと学び、そして素晴らしい出会いがありました。
ブログを始めた頃はネエサンに憧れ、ネエサンみたいになりたかったのですが、書けば書くほど、残念ながら、ネエサンにはちっともなれないことがわかり、ましてや少しも届きもせず、どんどん私は私になりました。
他のブロガーさんよりはおそらく記事数も少ないとは思いますが、どの記事も心をこめて(魂のブログ!)、一生懸命に書いてきました。
このような素晴らしい機会をいただけたことにも感謝の気持ちでいっぱいです。
私は松江塾ママブロガーを引退しますので、さらに純度の高い「私100%」の普通のおばさんに戻ります。
そして、これからはもっと好きに自由に書いていきます。
前までは自信がありませんでしたが、もしかしたら、私はそこそこ教育ママなのかもしれません。
だから、教育ママっぽいこともたっぷりと書いていきたいと思います。
これまで、私達の松江塾生活を支えてくださった全ての人にありがとうを伝えたい!
先生方をはじめアルバイトのみなさん、ブログで関わってくださった方々、
本当にお世話になりました!
本当にありがとうございました!
✧( ु•⌄• )◞◟( •⌄• ू )✧
ここまで、長文も読んでいただき感謝です!(5853文字)
今後は鉄緑会と東進数学特待ブログ、そして、まるおの英語教育ブログに生まれ変わります( •̀ᴗ•́ ) ̖́-
…でもさぁ、松江塾ママブロガーって一体何だったの?( ̄^ ̄)
何かすごいことが起きるって言ってたけど、何か起きたの?
蝸牛🐌