ゆっくり解説ならぬ、ゆっくりシリーズものの続きです。
世の中には過去にいじめられた経験を持つ方が少なくはないと思いますが、それと同時に加害者もその数だけいるってことになりますよね。
でも、被害者は声をあげても加害者はまぁ、名乗り出ません…。
そんな過去のカミングアウトなんて人生の「恥」すぎますものね…。
被害者は少なくとも傷ついて苦しんだのに、加害者は自分がしたことを一ミリも反省せずに、今ものうのうとしれっと図々しく、どっかのカフェでパフェでも食べて生きてんだろなって思うとかなり腹が立ちますね。
山ちゃんのコレ↑を読むと、プロの芸人さんですら、イヤな記憶としてトラウマになってしまってるらしい…。
ならば、常人の心の痛みはいかほどか…。
私はお笑いが大好きですが、昔からダウンタウンのお笑いが苦手でした。
もちろんワードセンスとかはすごいなって思うけど、基本的な笑いの取り方に密かに反感を覚えていたのです。(当時はダウンタウン嫌いって表明することすら勇気がいることだった)
やっぱり時代の流れに合っていないものは淘汰されていくんだろうな。
「罪を憎んで人を憎まず」
という言葉がありますが、私には罪と人とを切り離して考えることが到底難しくて、とある人により、不快な気持ちにさせられたら、やっぱりどうしてもその人を普通に嫌いにはなってしまう🤔
「坊主憎けりゃ 袈裟まで憎い」
って言葉の方がしっくりくる〜
ありとあらゆる不幸がその人にふりかかりますように!って願ってしまう( ´∀`)ヒドイ
友達とはこういう話題で、意気投合してしまうから、女の本能なのかな?
一回嫌いになるともう全てがダメになってしまうのよね…。
いじめた経験がある人は自分がいじめられる側になったら、自分のしたことを反省できるのかな?って思っていたけど、ただそれがいきすぎると、気付けば今度は新しい加害者が発生するという、私的に怖かったマンガ…↓
被害者とその親の心の痛みはもちろん、自分の子が加害者と知った時の親の気持ちも相当キツいだろうなって思います。
加害者の親が普通の感覚を持つ人だったら、想像しただけで何とも言えなくなる…。
そして、こんな風にいじめについて考え出すと、我が人生において、いつもこの後悔の念が湧き上がってくる。↓
私が中学の時にも特定の子を仲間はずれにするという動きがありました。
私はあくまでもそんないじめには加担したくなく、絶対にのらない、その子と普通に接し続けるという姿勢を見せることで、いじめっ子に反発した気でいたけれど、もうちょっと違う勇気を持てたら良かったのにな、って思う。
↓こんな勇気
当時はスクールカーストに閉じ込められ、楽しい思い出もたくさんあるけれど、息苦しさもたくさんありました。
多分、中学が一番キツい。
(あと一回くらいで終わる予定)