(内容は前回の続きです)
先日の親単科でなぜ真島先生の話はこどもに響いて、誰よりも子どもを想っているはずの私の話は響かないのか、よく考えてみた。
ヒントは真島先生も言っていたが、真島先生は過去のすごかった子の話をするだけで、直接、個には届けてはいないのだ。
すると、その話を聞いて自分の行動を変えようと思った場合、100パーセント自発的な行動となる訳だ。
私の場合、あなたにはこれが必要‼️って直接的すぎるから、反発のひとつもしたくなるのかな…って思った。
いよいよ、子育ての仕方を変える時が来たようだ。
もう、私が何を言っても反発をくらうだけ。
てかね、気付けば私はそら豆に対して、あれやれこれやれ、またはダメ出しのオンパレードになっていた。
これはよくないね〜😣
もうね、否定的な言葉を変えようと思った。
突然だけど、私の実母が癌なんだって。
もう疎遠だから何年も会ってないんだけど、親戚の叔母から聞いたのよ。
でもね、びっくりするくらい可哀想とか気の毒だとかは思わなくて、1ミリも気持ちが動かなかった。
むしろ、あー、またメソメソウジウジ落ち込んで、周りを巻き込んで悲劇のヒロインやってんだろーなーって滑稽に思ってしまうくらいで。
(実母はめちゃくちゃ気が強く支配的な人間だけど病気に滅法弱くて怯えてる)
でも、もし、そら豆やまるおが重大な病気とかになったら私は居ても立っても居られないくらいに心配で仕方なくなるな、と。
私は間違いなく親より子が大事。
それもこれも私は、親に育てられた期間、否定的な言葉を浴びせられ続け、あの人の言葉は全部、反発するべきもの、不快な音の一種として処理されるのだ。
わぁ、そら豆も私に対してそうなってないか?😭と…。
否定的なことしか言って来ない人間の言葉はそりゃ基本的に反発だよね…😭
だから、もう変える!
私が死ぬ時に私が母に思うような風に、そら豆に思ってもらいたくない!
お母さんと一緒にいると楽しい、気分が上がる、そんなお母さんに私はなりたい☺️